since 201601

担“下り”について

2016.01 KinKi (青)→ 2019.01 Sexy Zone (緑)→ 2019.10 Travis Japan(黄)

 

元々ジャニーズに興味無かったころから、カウコンだけは好きだった。100%Happyしかない空間だから。

 

KinKiを好きになったのは、自分が傷ついていて、この世界の何もかも愛せないように感じていたからだった。

 

人を愛するということはどういうことなのか。ふたりを見ていれば、その答えがわかるんじゃないか、という期待。

 

好きになってく愛してくという曲で、彼は容易くは誰彼問わず愛せない、というふうに書いた。“人気絶頂のアイドルが”そういう認識を持っていること。それにもかかわらず“アイドルでいる”こと。

 

その謎の先に、何かの答えが見える気がしていた。

 

ジャニーズには、元々好感を持っていた。“イケメンでありながら”小さい頃から努力して、エンターテイナーとしての技術を磨いているからだ。

(イケメンに生まれたら、何の努力もせずに、その美貌を自分のためだけに使って、ヒモになったりしてラクして過ごすことだってできるのにもかかわらず、ストーカーに追われる等のリスクに身を晒しても)人を楽しませる、ということを自らに課して、その為に多くの時間と労力を注ぎ込み、自らを磨き続けているから。

 

心が離れたのは、一瞬の出来事だった。

2018/12/29のラジオ。

そこで自担(当時)は、ファンの皆は結婚して子供を持って幸せになっているのに、自分にそれを許してくれないのはおかしい、というふうに言った。

 

彼の名誉の為に付け加えるなら、自分自身の為じゃなく時節柄、岡田くんとか嵐とかの事があって、思うところがあったのかもしれない。それに、彼がその話をラジオで持ち出すのは、別に初めての事じゃなかった。

タイミングが最悪だった。

年末仕事を納め、一年背負ってきた苦しみを、ようやく降ろせる、年を忘れたいその日。コンサートという楽しみも無かった年。ラジオを聴けることを楽しみに乗り切って、わくわくしながら、帰省した実家で放送を待って。

楽しいトークが聴けるという期待は無惨に裏切られ、そんな話を、実家のリビングで、親もいる前で聴かされる苦痛。

わくわく弾んでいた気持ちは、冷水をぶっかけられたスフレみたいに惨めに萎んでいった。

 

自分自身はずっと、結婚=幸せという考えを持っていなかった。生殖なんて、獣だってしている。生物としての本能から離れた、人間でしか為し得ない何か。その何かを求めて、人間として生まれて来たのではないか。ずっと、そういう仮説を持っていた。

 

その価値観は、彼の思想とは相容れないんだと、その言葉を聴いてわかった。彼は“普通の人”だった。普通の人って素晴らしいと思う。友達になるなら断然普通の人が良い。

だけど、二度とない自分の時間と労力と、血の滲むような思いをしてようやく得たお金を使ってまで、みず知らずの“普通の人”を応援したいとは思わない。

 

また、灰色に戻った世界。

しかし、奇しくもときは2018年の年末。タッキーの卒業企画が、次から次へと画面を埋めた。

Can do Can go に シンデレラガール。100%Happyしかない空間。

自分が探している“誰か”は、その中にきっといるんだと感じた。

 

いくつかのDVDを購入した。タッキー&翼、V6、ABC‐Z、King & Prince、そして、Sexy Zone の Stage 。

Sexy Zone の Stage は、自分が求めていた完璧なエンターテインメントだった。そこから Summary を買って、初めてマンションを目にした。圧倒的な迫力。ステージに子どもたちしかいないという、独特の世界観。

 

好きになるなら、Sexy Zone が良いと思った。だけど、誰を推すのか。

特典映像のセクチャンの縄跳びの回。

そこで、バク転が苦手なんですよね、と言った彼。

出来なくて、何か月も練習した、と話したあと「ファンの子、お待たせ」と笑った聡ちゃん。

 

何か月も出来なくても諦めずに努力を続けること。それが、ファンの子を喜ばせるためだということ。

自分が探していたのはきっと彼だと思った。

 

しかし、ときは2019年。彼は活動休止をしていた。

repainting までひと通り揃えたが、自担のいない映像作品は、観たいという気持ちになれなかった。

 

とき同じくしてタッキーのアイランドのWeb革命が始動していた。youtube で無料でジャニーズJr.を見ることが出来る世界。

美 少年 や Snowman のバラエティー系の動画を観るようになった。そのとき自分が求めていたのは、癒される“優しい人間関係”だった。

 

Travis Japan で最初に観たのは、ガチでダメ出しの動画。全然印象に残らず、いまいち面白くないと判断して観なくなった。

その後、たまたま目に留まったのが、Travis Japan のギャラリーコンパクトの動画だった。元々画伯を観るのが好きだったので、サムネで惹かれて何度も繰り返し観た。何度観ても笑えた。

 しばらくして、家族から、Jr.のパフォーマンス動画のお薦めを教えてほしいと言われた。 自分はほとんどパフォーマンス動画を観ていなかったため、そのときに必要に迫られて観ることになった。

 

たまたま再生した 横アリ単独の Happy Groovy 。何故かわからないけど、閑也のダンス(特に足)に視線が引き寄せられた。

 

確かにダンスは格好良いけど、彼は自分の好みじゃないな、と思った。

その頃Jr.に興味を持って買ったアクスタは 浮所、目黒、みずき(笑) Travis Japan を観るようになって買い足した宮近。

イケメン“なのに”努力している という観点から、“王道のビジュアル”を最初の基準に設定していた。

 

しかし、Travis Japan を好きになって、動画やメディアを履修していくうち、メンバーから(ファンからも)閑也は優しい、大抵のことは笑って許してくれる、少女漫画の彼氏像を少し男っぽくした感じ、本当は緊張して喋らない方だけどグループの為にお笑いキャラを引き受けている、入所するまでダンス未経験だったけど努力して Travis Japan に選抜され、グループの振付や構成を担当するまでになったこと。

 

繰り返し、メンバーの口を変えメディアを変え繰り返される“閑也は優しい”。気がついたらそういうふうにしか見えなくなっていた(笑)

最初は失笑してたギャグも、自称“すべりしか知らない”男でありながら(自覚してるっていう 笑)何度すべってもメンバーのために全力で挑む姿が愛しく見えてくるし。

元々現実には弟キャラの男性が好きなので、決めきれないところも、やらかして“あぁーやっちゃった”って言ってるところも、丸くなりがち(笑)なところも全部可愛く見えてくるし。

 

でも!この人を好きでいたい!って最終的に思ったのは、閑也くん自身の言葉に惹かれたから。

 

笑顔にするよ

 

そんなこと言ってくれる人がいたら、好きになってしまう(笑)

この人を好きでいたら、ほんとうに笑顔にしてくれるのかもしれない。

信じてみたい。もう一度だけ。

 

そう、いつのまにかたどり着いていたのは、これまでジャニオタになれども決してなることのなかった“リア恋”の領域。ただ、理性を捨てた訳じゃないのでまだセーフだと思ってるけど(笑)

 

血の繋がりもないみず知らずの、自分に(パフォーマンスを見せて楽しませてくれるということ以外には)直接何かをしてくれるわけじゃない(得のない)誰かを好きになり、応援したいと思うこと。

 

生物としての本能から離れた、純粋な(見返りを求めない)愛情とは何なのか。

 

もしかしたら、この先に答えの片鱗を見つけることが出来るのかもしれないし、また見失うのかもしれない。

ただ、今は、Travis Japan (黄色)担 でいたいと思う。