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KinKi Kids Party ! ありがとう 20 年 16日公演

KinKi Kids Party ! ありがとう 20 年 16日公演

 

※ちゃんとしたレポートは雑誌なりで見られるはずなので、主観に基づいたメモ書き。

 

■後輩くん達との絡みについて

 佐藤勝利くん、KAT-TUN のメンバー、NEWS のメンバー、嵐のメンバー(未満都市のふたり)、タッキー、内くん が応援に来ていた。

 後輩を沢山ステージに上げたことに、ふたりを見られる時間が減ったと批判的なファンの人、単純に後輩メンバーを見られて喜んでる人、いたけど、私は別の意味で、良かったんじゃないかな、と感じた。

 光一くんは、それぞれのグループが何周年なのか訊いて、「(周年のライブのときには)剛くんとふたりで行くから、この(応援に来てくれた)恩は必ず返すから」とか、周年が近くないグループには、「せっかくだからさ、こんど、何か(コラボ)一緒にできたら良いよね。そのときは、剛くんも一緒に」とか、「内もこの機会に剛くんと親交を深めたら良いじゃない(すごいうろ覚えニュアンス)」と言っていた。

 いつもの光一くんは、ジャニアイか何かにゲストで出ていたとき(私は行ってないので聞いた限り)もそうだけど、ファンの子達は主役(ジュニア)が見たいのよ!って思ってるだろうにごめんね、っていうスタンス。なのに、後輩が来てほしいと言ったわけでもないのにライブに出演の約束を光一くんから持ち出すのは、光一くんらしくないと感じた。

 16 日公演の最後、光一くんは、「僕らが支える立場にならなきゃいけない」と言ったけど、そのすぐ後、「ファンの皆にはいつまでも甘えることになってしまいますが」とも言ったので、『支える立場』というのは、事務所内での先輩として、支えてもらった恩返しとして、という意味に取れる。

 剛くんが事務所でお世話になったと言えるのは、ジャニーさんとSMAPさんくらいで、個人的な友人の監督から映画の仕事を貰ったり、ソロでは事務所とは違う繋がりの仲間とライブをして、引退したら奈良にライブハウスを建ててライブをして暮らしたい、と言っている。(事務所にしがみつかないといけない理由が全くない。)

 剛くんは、音楽を辞めるってことは、絶対に考えていないと思う。でも、思うようなパフォーマンスができなくなったとき、光一や事務所に迷惑を掛けるという理由で、事務所を辞めたり、グループを解散したりということに、ハードルがそんなに高くないようにも見える。

 それは剛くん以外の人間であれば、自由に休養を取れるという意味で、良い事なのかもしれないけど、剛くんは、15 日公演で、耳が良くなろうが悪化しようが、音楽活動を再開する、フェスや平安神宮のセットリストなど実現する方法を検討している、と言っていたそう(私は参加していないので、完全な行った人からの伝聞)。現時点でほぼ改善が見られない状態なのに、明らかに早すぎる。友人でもあるバンドメンバーのスケジュールを押さえている都合上、自分だけの都合で中止にはしたくないのではないかと感じる。

 15 日公演では、光一くんは、「(剛をステージに立たせないのは)ドクターストップだけど、光ちゃんストップでもある」と言っていたそうで、フェス等について剛くんが言及したときも、「それはお医者さんとよく相談して」と言っていたそう。

 KinKi の活動は、光ちゃんストップをかけることができても、ソロ活動は、止めてくれる人がいない。剛くんは、自分を犠牲にしてでも、他の人を優先するようなところがあるから、左耳がほぼ全く聴こえないという非常事態でさえ、ドラマの撮影を優先し、夜間に通院ということを続けていたのだと思う。

 これを同日の、事務所の後輩くん達への『剛くんも一緒に』の約束の大盤振る舞い、「恩を返す」、「支える立場に」という言葉と合わせて考えると、光一くんは、剛くんが迷惑を掛けるという理由で辞めるのを一番恐れていて、それを必死に防ごうと、ファンとの約束だけだと弱いから、事務所や後輩との約束も持ち出したんじゃないかと感じた。

 ファンとの繋がりや光一くんとの繋がりが弱いという意味じゃなく、ファンはグループから出ても事務所を出ても応援するだろうから。剛くんは光一くんについて、事務所を辞めても一緒にものづくりするくらいの関係、老人になって仕事関係なくラーメンを一緒に食べにいくのも楽しみにしてる。とも言っている。そうじゃなく、光一くんが守れる範囲に剛くんがいることが、剛くんを守る為に必要という意味では、グループが絶対に必要なんだと思う。

 剛くんは、音楽の仕事が問題なくできるのであれば、左耳が快復しなくても問題ないという考えなんじゃないかと思う。だけど光一くんは、音楽の完成度仕事の完成度の問題じゃなく、剛くんが不自由を抱えて生きていかなきゃいけなくなることが嫌なんだと思う。

 「ファンに安心を届けるのが(一番の)あなたの仕事」と、16 日公演で光一くんは言っていた。光一くんが剛くんを守ろうとしてくれているのは、剛くん自身だけじゃなく、ファンの為でもあるんじゃないかと感じた。ファンも、光一くんと同じ、剛くんの音楽の完成度のことなんかじゃなく、剛くんがハンデを背負って生きていかなきゃいけなくなるのが辛い。ましてや、応援している、ファンの為でもある仕事のことが原因でなんて辛すぎる。そういうファンの気持ちをわかってくれているから、何もできないファンの代わりに、剛くんを守ろうとしてくれているんじゃないかというふうにも感じた。

 

■突発ラブについて

 嵐に似たタイトルの曲がある、とタイトルとサビのフレーズを変えたがっていた光一くん。

 嵐のメンバーがステージに来た時、そのやりとりを聞いていて、「(被ってても)良いと思いますよ」と言ってくれて、その曲が達郎さん作曲、まりやさん作詞だから、剛くんも「連絡とって(問題ないか)きこうか?」と言ったけど、光一くんは「お二人は良いよ良いよ、って言うと思うんですけど、なんか…」って最後まで嫌がっていた。

 それはきっと、「突発」っていう言葉が、難聴を連想してしまうからなんじゃないかと感じた。16 日公演でも、光一くんは、「突発が…」って絶対に難聴って言葉を口にしなくって。

 剛くんは、難聴みたいな辛いことも、(break a bone funk みたいに)歌に出来るくらいにならないと、っていうファンク魂から、歌詞もあえて会場の花火、ファンのペンライトの情景を取り入れて、だから突発ラブっていうタイトルも良いと思っているんだろうけど、光一くんは逆で、受け入れることは完治を諦めること、みたいに捉えていて、だからタイトルを嫌がっているんじゃないかと思った。

 難聴という言葉を口にしないのも、そうある事を認めてしまってそれありきで先の事を考えるんじゃなく、口に出さないまま終わる(完治する)未来を諦めたくないから。

 

■年末コンサートについて

 16 日のイベントの最後、「まだ何も決まってないけど、冬のドームコンサートでは、ふたりでステージに立つので待っていてください」と明言してくれた光一くん。「それまでには、曲(突発ラブ)を完成させないと…、実はもう一曲あるんだけどね。まあ、それは三年後か五年後にね。」って言ってて、その場はえーっ?!って思ったけど。三年後も五年後も、ふたりは一緒にやってるよ、っていう約束だったんだなぁと後で気づいた。

 

■難聴という危機についての捉え方

 「光一には一番迷惑かけてごめん」と謝る剛くんに、「剛くんがいないことで、周りの人の支えや暖かさに気づくことができたから、…ほんとうは、こんなことがなくても普段から気づかなきゃいけないけど、…この経験があって成長できたから、良いの!」と言った光一くん。

 剛くんが、「こんな立場の僕が言うのも違うかもしれないけど、…光一が辛いときは甘えて」と言ったときに、光一くんは、「俺は人生楽しんでるから、辛い事なんてないよ!」と笑って返した光一くんに、「そういう人こそ、っていうのもあるからね。」と表情を変えず静かな声で言った剛くん。「ずっともちつもたれつでやってきてるんだから、良いのよ!」と言った光一くん。

 私は、剛くんの表情と声、光一くんがはぐらかすみたいに笑ったことに違和感があったけど、そのときはわからなかった。後で思うと、剛くんが解散について訊かれた時、光一がやりたいという限りは、何十年でもいつまでも一緒にやる。でも、光一が『ちょっとひとりが…』と言ったときは、聞いてあげるくらいの愛情を持っている、と言っていた事を思い出した。それを愛情と呼ぶ剛くんだから、「甘えて」にそういうニュアンスが含まれている可能性があると、もしかしたら光一くんも感じ取って、ああいう反応になったのかな、と思った。

 その後、光一くんは、剛くんの難聴という危機に直面して、「乗り越えるべし!」って思ったと話してくれた。剛くんの病気で、剛くんだけが闘うんじゃなく、KinKi の困難をふたりで乗り越える、と捉えてくれているんだと心強く思った。

 

■剛くんのパフォーマンスについて

 「もう君以外愛せない」を一緒に歌おう、中継でタイムラグがあるから、どうしてもずれてしまうし、うまくはいかないかもしれないけど、って光一くんが言った時、剛くんは、「こっちが遅れてるの?クリックを出す事ができれば…」「無理だね!」「早めに歌えばいいの?何拍子くらい遅れてるの?」「はじまるよ!」ってやりとりになった。

 剛くんのあんな動揺してる声は初めて聞いた。いつも、なんでも簡単に完璧にできてしまうように見えるけど、実際は、色んな事に気を配って、上手くいかないかもって不安を観客には微塵も見せずにひとりで抱えながら頑張ってくれているんだと感じた。

 光一くんは、このときは(剛くんがタイムラグについて質問するから)言えなかったけど、あとで剛くんが「青の時代」を弾き語りしたとき言っていたように、「みんな(ファン)も剛くんの歌声が聴きたいと思うから」って言おうとしていたと思う。クリックも、物理的に無理ということより、上手くできないことはお客さんも皆わかっているから、上手く歌う必要は無い。剛くんの声が聴けて、お客さんを安心させられればそれで良い、という考えだったからじゃないかと思う。光一くんは、剛くんを想うファンの気持ちについては、すごく良く察してくれる。会場のお客さんもタイムラグは理解していて、決して曲の完成度は求めていなかった。でも、この状況下であっても、歌手として歌を届けたいという剛くんのプロ意識には、ほんとうに驚いた。剛くんの溢れる才能を支えているのは、怖いくらいの完璧主義なんだと改めて気づかされた。

 薔薇と太陽をやりたかった光一くんがPボーンをスタッフに届けさせていて、「薔薇と太陽の見せ場じゃない!…(吹く)真似だけね!」って言ったら、剛くん「吹いても良いけどね。吹いてみたら突然(耳が)治るかも」って言い出して、「耳に悪いから駄目よ!」って光一くんが何度も言ってた。剛くんはPボーンの吹き口が見当たらないのを気にしていて、「無くて良いのよ!吹いちゃ駄目なんだから」「そうか」ってやりとりになった。

 剛くんの時折みせる、自身に対する投げやりにみえる態度。以前には、膝がポンコツみたいに言っていたこともあったし、これは剛くんが元々持っている考え方なんだと思う。ファンとしては切ないし不安になるんだけど、光一くんはファンの側の気持ちをわかってくれていて、剛くんに注意してくれたんだと思う。

 16日の公演で光一くんが、おまえは耳と膝、俺は右肩を痛めている、(年齢的に)皆も気をつけて、というふうにファンに呼びかける場面があって、剛くんの難聴も、特別なことじゃなく、年月を重ねてれば誰にもおこりうること、膝の(薔薇と太陽の)時みたいに乗り越えられる、というメッセージを伝えようとしたのかな、(後から思うとだけど)と感じた。

 

■公演について

 今回、直前に 2016-2017 コンサートの映像が発売になって、私も勿論買って観たけど、ほんとうに素晴らしくて、これまでの KinKi のコンサート映像でも、一番の出来だと思った。だからこそ、これからももっと素晴らしいものをつくってほしい、最高を更新し続けてほしいと思った。

 作品として本当に素晴らしくて、でも同時に、作品として完成されていて、芸術作品のようにしか見られずに、ふたりを遠く感じた。生産者と消費者の関係で、それでいいのかもしれないけれど、光一くんがソロコンで言うように、値段分やったら終わりで、何の問題もないし、私自身が、会った事も無い、知らない人を応援したいなんて思った事の無い、元々そういう考えの人間だった。

 だけど、今回、KinKi Kids Party ! ありがとう 20 年 16日公演 に参加して、それは KinKi にとって、というよりファンにとって、勿体ないことだったのかもしれないと思った。優れた芸術よりも、もっと、人を救えるものが、ほかにあるのかもしれないと思った。

 芸術作品は素晴らしいけれど、誰かを救えるという事は、もっと素晴らしい事なんじゃないかと思う。KinKi はそういう存在だったし、これからもそうなんだろうと思うし、そうであってほしい。だからこそ、私にとっても、初めて知らない他人を「応援したい」と思えたんじゃないかと改めて気づいた。才能があって、次の作品を楽しみにして、ということに埋もれて、忘れてしまいそうになるけれど、それだけじゃないんだって。

 私は人間不信のところがあって、辛い時に、KinKi のふたりをみると、人が人を愛するという綺麗な感情がこの世にまだ存在しているんだと思えて、すこしだけ、また人を信じたいと思えた。Party では、ファンの愛情、ふたりの間の愛情、人が人を想う気持ちがスタジアムいっぱいになっているように感じた。

 だから、2016-2017 コンサートは本当に素晴らしかったし最高だと思うけど、KinKi Kids Party ! ありがとう 20 年も、やっぱり素晴らしくて最高。(なので、ブルーレイになってほしいし、また見たい。)