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何年かに一度、江戸ブームが到来する。
西の人間故に、基本は文化に親しみを感じるのは平安時代まで。
それとは別に、子どもの頃、早起きして昔の時代劇の再放送を観ていた。
その影響なのか、数年に一度、江戸時代の文化のブームが来る。
今年はその年に当たる。
なので、初めてこの島へ訪れた。

駅について、橋を渡って、目的地、島の神社へ向かう。
事前の情報では、二時間程度で全行程を巡れるとのこと。
早速の波の音、うみねこの声。
本当の海に来たんだ、と感じる。

津波の危険を知らしめる看板が、島へと向かう道すがらに幾つも掲げられている。
近代的なコンクリートの平らな橋が真っ直ぐ島へと伸びている。
スケートボードの練習をする高校生くらいの男性たち、その向こうには、公道でのスケートボードの禁止の看板が見えた。

島に着くと、すぐ大きな鳥居が見えてくる。参道は門前町になっている。
お饅頭や煎餅、串焼きなどの食べ歩きできるお店や、しらす丼の店が軒を連ねている。

坂を上ると、階段、朱塗りの鳥居が見えてくる。
弁天様の神社であることを示す、琵琶の形の看板に、神社の名前が記されていた。
鳥居の向こうには、竜宮城のような雰囲気の門。

この島は、岩山を階段で舗装したようなつくりになっていて、とにかく石段が多い。
全体では、三つのお社を巡るようになっている。

途中、お社とお社の間の道には、カフェやしらす丼の店がある。
急峻な階段が続くので、休めるようになっているのだろう。
弁天様は芸能の神様。
もしも信心深く、ここへ毎日のように通っていたら、
確かに足腰が鍛えられ、踊りの基礎力が養われるのではと感じた。

島は急峻な岩山になっているので、途中の道から、太平洋が見渡せる。
岩肌には、冬枯れた芒が生えていて、海の目に染みるような鮮やかな青と地上の褪せた藁色の枯草の対比、侘しい雰囲気は、鎌倉時代を彷彿とさせる。
武力で西の都を亡ぼした、東武士達の力強さ、戦いの果ての行く末。
義経の姿が見えた草原や、水底に沈んだ幼帝の波間に見えたという海原もかくやと偲ばれる。

三つ目の神社の先には、洞窟がある。
島の外周に沿って廊が敷設されている。
廊はどこまでも続くようで、まるで、海の中に取り残されたかのように感じる。
視界いっぱいに青々とした海が広がる景勝地

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その先、島の最奥に、洞窟がある。
洞内は暗く、空気はひやりと冷えている。
すぐ外は海。押し潰されそうな閉塞感に、背筋がぞくりとする。

その感慨も、長くは続かなかった。録音の、英語のアナウンスが流れている場所に出た。
パネルが展示されており、頼朝の抜け道だとか、富士山に続いているだとか、外人に聞かせるまでもないいわくが語られている。

その先へ進むと、洞窟の中に小屋があって、「蝋燭をお貸しします。」と、
係のご老人が火を灯して手燭を渡してくれる。

そこからは、洞内は暗くて足元も見えず、天井が低く、背中を屈めて進んだ。
中は二股になっていて、順路の左に進むと、奥は祭壇のようになっていた。
鎌倉新仏教の日蓮上人の修行した地のようだ。
弘法大師空海上人の修行した、御厨人窟に入ったときのことを思い出した。
インドでも、修行の際は洞窟で行うのだという。神仏の力を受ける為、位置とか方角にも規定があるとのことだ。
潮騒さえも届かず静寂が耳を打つように感じられるこの洞窟での修行は、強固な精神力が必要とされたことだろう。

二股まで戻り、右側に向かう。
その奥は、神棚が祀られており、当地の神社発祥の地との記載があった。

ひっそりと静かに、清浄な島の奥にまします御神体
ここを核として、これまでお参りしてきた大きな、賑わいに満ちた、竜宮城ふうのお社。そして、道中のしらす丼、パンケーキやフレンチトーストの店。島全体の人の営みが築かれていったのだ。

参拝者は、高齢者もいたが、
高校生、大学生と見られる若者も、半数くらいはいるようだった。
1日かけて島を巡る。
きっとこの島は、江戸時代には、当時の人にとって、テーマパーク、夢の国のような存在だったに違いない。
その名残が、今も若者を惹き付けるのだろう。

日光に行った時のことを思い出した。
日光を見て死ねとまで言われた、西洋で言うナポリ程江戸の人々を惹き付けた憧れの地。
やはり、西の人間が考える参拝と、
あり方が異なると感じる。
物見遊山という言葉は、こういう場合にこそ使われる為の言葉なのだろう。
当時は否定的に感じたが、今は江戸ブームのとき。
江戸の時代の一般大衆の人々の息遣いを感じる。
西に残る精神文化とは別の意味で、現代と不断に繋がっている。
数年に一度だけ来る、そしてしばらくしていつの間にか去ってしまう江戸ブーム。
そんな江戸文化の力強い魅力、そして、西の人間には馴染みきれない要因である江戸文化らしさもまた、感じることができた。